con amore

夏目と芥川



狂音文奏楽『文豪メランコリー ver.江戸川乱歩』の夏目パートと芥川パートの感想、散文的なもの。
全てが好みで全てが衝撃だった素晴らしい舞台。素晴らしい表現の数々。
その中でも、特にこの二パートが印象に残った。



夏目パート


まず第一に、机を立てて鏡にする演出、感嘆のため息がでた。天才だとさえ思った。磯貝龍乎は天才。

本当のこころを歌う夏目の後ろから鏡との間を縫って夏目に絡まる乱歩と誰か(ごめんなさい、覚えてない…)が、夏目の前から近づいてくる太宰と芥川を鏡の奥に連れ去って行き、太宰と芥川が夏目に手を伸ばす姿。
特に夏目を慕っているふたりを連れ去って、夏目→芥川→太宰という系譜と「弟子によってつくられた」という慕われる夏目先生をこれから壊していくのを示してる感じがして、うわっ!と思った。
反り立つ鏡はきっと鏡子を暗示していて、追い出そうにも出ていかず、逃げようにも逃げられず、鏡の間に囚われている夏目。
その鏡にうつるものは果たして夏目の求めたものなのか、夏目自身であるのか、夏目のこころであるのか。
演出が最高だ…りゅうこさん…



はてさて、本題の夏目先生。
ギャップがすごかった。演技がすごかった。表情がすごかった。声の表現がすごかった。全部めちゃくちゃ良かった。
細かな表情や動きや声もどれも忘れられない。ずっと耳の奥で響いてる。
これはもはや、覚えているうちに記憶のすべてを書き記しておきたいというメモかもしれない。

夏目先生。
穏やかで朗らかで歩き方も丁寧、背筋の伸ばし方すら芯があり、立つ時は足も揃えられていて、語尾も語調も柔らか。
確かにそれは “先生” という美しさを持った人格者に似た懐の深さを感じさせる姿だった。
平たく言えば言動すべてがとても大人で格好良く、唯一狂気を持っていない者かと思った。
歌い始める瞬間までは。


ガンッと乱暴に椅子に腰を落とし両足を開きっぱなしで怠慢に上げられる顔。
振り回されっぱなしだと吐き捨てる蔑みを湛えた目つき。
「お母様」と微笑む顔に影をさす自嘲と皮肉の色。
はは。と笑う乾いた目。

鏡子と出会い、問われてばかり問うてばかりだった「本物」をようやく知れる、ようやく手にしたと思ったその時の、偽物のような嘲笑。
次の瞬間、敵意が含まれた憎しみの目と荒々しい動き。

鏡子と交わした手紙を思い出しながら椅子に座る夏目は、歌い始める前に見た “先生” のひとつ前の姿に見えた。
それまで乱暴に投げ出されていた足をぐっと組み、乱雑に振り回されていた手をぐっと見つめる。
『人間は誰もが身勝手な生き物だ』
ずっと吾輩のそばにいるのは、こうした言葉をくれるのは、身勝手な人間か。
他者とは何かを考えているような姿。
命を終えるその時になって、やっと、自分自身の体の在処を知ったような仕草。

死んだ後の、今の、夏目先生と呼ばれる今の夏目が歌う本物の愛と家族。
ずっと振り回されっぱなしだと感じていた夏目が、死んだのちの今、やっと、自分から手を伸ばそうとしている歌。
今度こそ本物を知り自分は家族も愛もあったのだと歌う姿は、本当に、優しい表情と素朴な歌い方で、屈託なく歯を見せて笑っていた姿に好感を抱いたと歌われた鏡子を何故か思い出した。
夏目の鏡の先にいるのは、やっぱり、鏡子なのかもしれない。
鏡子にうつるものが、夏目が知りたかった本物で、夏目が見つめ続けた理想という鏡。


ひとつひとつの仕草、目つき、表情、動き、歌い方、喋り方、まくしたて方。
すべてが感情の流れのままで、すごく、良かった。
演出も、演技も、歌も、なにもかもが、すごく良かった。
ずっとあの心の叫びが耳の奥で鳴り続けている気がする。

前川さん、前川優希さん。
あなたの演じる夏目漱石に出会えて本当に嬉しい。
あなたの演じる夏目漱石のあの姿が、本当に本当に好きです。
ありがとう。



芥川パート


最後まで一気に観ようと思っていたはずなのに、無理だった。
芥川、芥川が歌い始めて、息を吸う時間をいれずにはいられなかった、あまりに、なんだろうか、なんだろう、、、、、痛かったのかもしれない、私は彼らの中で一番芥川が好きで、彼の言の葉が戦ぐ音に共鳴してしまうから、痛かったのかもしれない、痛くても好きだった。


芥川で耐えられなくなり水を手に取ろうとした、コップは空だった。
台所からの帰り、歩きながら水を含んだが、まともに道にゆかなかったそれにむせて空気を飲み込んだ。
むせて前を向いた時、ちょうど目の前の畳に細く光の形が見えた。
月と家族に隠れてこっそりと文豪たちと逢瀬していた私が先程までいた自室の明かり。いつもこうだ。
私はそれを当たり前のように一瞥して通り過ぎたかったけれど、芥川を思い出してまた水を煽った、そしてまたむせた。
空虚なそれの異物感をまだ思い出せる。
哀れな芥川と一緒に。

芥川の心。
神、救い、光、愛、、、、、痛い、こわい。
自分の心の奥に鎖でガラン締めに鍵をし、それでもその扉の隙間から流れ出ては心の底にこびりついていた意識が、今流れ込んできたこの一瞬の連なりによって浮き出されている感覚。
小3の頃に知った神とメシアと救いの存在、その教えの存在、崇拝という行為の存在、信者ではないことの不理解、、幼い頃から疑い続けた自分の生の価値、子は愛の結晶であるならば己はそうか?という疑惑、、救おうとしても救えない友、救いなどないと嘆く友に神は愛を感じさせてやくれないらしい、、では伸ばした私の手の行方は何だ。
いや、私は芥川ではない、芥川は私ではない、見えている芥川もまた芥川ではない。
しかし、そのどれもが同じであること。
雨に打たれて氾濫寸前の川を抱えた気分だった。
ただ、目の前には傘がある。
穴だらけでも骨が挫けていても傘だとわかる。
確かに傘だった。

私は芥川が好きだ。もとより。
闇の中に人影があることをうっすらと感じられる。
姿が見えなくとも人は気配を感じられる。
その気配は、穴だらけの傘だけれど、それでも布地もある傘だった。


Pへ


ずっと待ち望んでいた、龍乎さんの世界観を観る日。
出会えたこと、その名前を知れたこと、そのチカラをこうして表現として魅せてくれること、『文豪メランコリー』という作品を創ってくれること、本当に感謝しています。
出会えて嬉しい。
その表現に魅了されたことが嬉しい。

文メラ、最高の狂気と最高の孤独と最高の愛と最高のクズたちと最高のカッコ良さを、ありがとうございました。

  I love you, I always have and always will.

戻る